努blog

2016年07月

ここに紹介しますのは、随分前に僕が仲間達と集まって作りました、ソフビ製の怪獣指人形です。

既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、怪獣派指人形として一時期世に出回った物です。


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向かって左より順次紹介していきます。


指怪獣 ユビュ 作・トムラアツシ(ピコピコ)

出世魚怪獣 ゲジュン 作・サンガッツ(サンガッツ本舗)

水棲宇宙人 シーメ星人 作・マキビシ(なかよし)

夢喰妖怪獣 クエックイッ 作・矢嶋淳一(ドリーム・ロケット)

世紀の犬怪獣 シバゴン 作・怪獣博士(鈴木製作所)

コマンド怪獣 レスラ 作・ken matsuo

惑星侵略ロボット ゲベックSV 作・牧野良彦(TTToy)

兎怪獣 ラビト 作・増山努(マウント工房)



サンガッツ本舗さんHPでの紹介は以下の通りです。
随分前に立ち上げられた内容ですので、その分をご考慮願います。




丁度今から12年程前の2004年、ネットで知り合った怪獣好きな仲間が集まって、各自オリジナルの怪獣を指人形にしてイベント販売するという、お祭り企画を立ち上げました。
題して怪獣派宣言です。

サンガッツ本舗さんのご指導を中心に、各自が怪獣制作を行いました。
描いたデザインを基に粘土原型を制作し、慣れない手付きでシリコン型をこしらえました。
それらから金型をお越して製品化しました物が、このオリジナル怪獣ソフビ製指人形でした。

デザインフェスタを中心に、何度か販売を行いました。
沢山の人達が、喜んで手にしてくださいました。
これらをお買い求めくださいました方々も、大勢いらっしゃると思います。


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     ラビト勢揃い 僕が今迄に彩色した物の一環です


これらの怪獣指人形ですが、今でも個別にイベント販売さている事もあります。
今回、僕も久々に兎怪獣ラビトの蓄光版を、この秋のスーフェスで販売予定です。


あれから随分時が経ちました。
怪獣派メンバーは現在も夫々が創作活動を続けており、時々はイベント等で顔を合わせます。

怪獣指人形を見ていると、10数年前の事が懐かしく思い出されます。
この怪獣企画が、僕等の創作の原点だと思っております。
あの頃の情熱を大切にして、これからも我が道を歩んで行こうと思っております。


急遽告知いたします。
マウントゴリラの新彩色版が登場です。
第10期黄色版です。



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黄色い身体に、青黒い肌と焦げ茶色の模様をした、バナナ色?のゴリラです。
この度Oneup.さんで販売されます。

来る今月の24日に行われますワンダーフェスティバル2016夏で、会場販売されます。

先行販売としまして、本日7月19日(火)の夜21時~20日(水)昼の12時までの間に、Oneup.さんのHPでの通販が開始されます。
明細は、Oneup.さんのブログをご覧ください。




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今回のマウントゴリラは、以前紹介しましたアメリカ玩具のマィティコングのゼンマイ版を、彩色イメージの参考にしています。
顔や胸、手足が青黒いのはその為です。


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春に販売されましたOneup.15周年記念版の第6期とのツーショットです。
こちら(6期)は、マィテイコングのリモコン版を参考にした彩色です。

Made in Japanの海外アンティーク玩具から、その発想を得た彩色版です。



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ここで、恒例?のゴリラ集団です。

今回の彩色は少し難しかったのか、いつもよりか時間がかかりました。
この次も面白い色合いのを考えます。


ご興味を持たれましたお方は、是非Oneup.さんの情報にご注目ください。



追伸

Oneup.さんから、ワンフェス販売品としまして、金色ラメ素体を用いたゴールデンゴリラが販売されます。


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こちらも先のマウントゴリラ10期と同様、先行販売も行われます。
本日7月19日(火)の夜21時~20日(水)昼の12時までの間に、Oneup.さんのHPで通販開始です。

金ラメ素体に黒の塗装を塗って拭き取った彩色法で、毛並みモールドが活かされています。
シンプルで力強い表現は、後藤彩色所さんによるものです。
ベテラン職人の技が冴えるゴリラに、大注目してください。

追加情報でした。



ウルトラマン放送50周年記念の第3弾です。


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      別冊少年マガジン 1966(昭和41)年 
      秋のおたのしみ特大号表紙


ウルトラマンが放送開始されて、ウルトラQから始まった怪獣ブームに、更に火が点いたと言っても過言ではありません。

巨大怪獣と互角に戦うヒーローの活躍に、子供達は夢中になりました。
テレビ放送に見入り、学校でも常に話題となり、兄弟友達と怪獣ごっこをして、雑誌や図鑑等を読み耽る、そんな日々が続きました。

当時から僕は、ウルトラマンよりも怪獣が好きでした。
毎回登場して暴れる怪獣の活躍を、ワクワクしながら見入っていました。



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      別冊少年マガジン 1967(昭和42)年
      お正月おたのしみ特大号表紙


高級玩具等は買って貰えませんでしたが、そこは子供の知恵と創作力の発揮しどころです。
僕は、油粘土で好きな怪獣を作ったり、紙に描いて切り抜いた物を沢山筆箱に入れたりしまして、それら手製品で遊んでおりました。
怪獣の絵も沢山描きました。

また、時々はおやつに買って貰えたのが、怪獣の頭部を模ったペラペラ容器のお菓子や、油染みが物凄い板チョコ等でした。
気持ちと胃袋の栄養源としまして、それらも貴重な怪獣財産でした。



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    週刊少年マガジン 1967(昭和42)年19号表紙



想い出として特に印象深かったのが、ザラガスの回でした。
その頃はウルトラマンの物語も終盤で、季節は3月でしたがまだ寒い時期でした。

小学校1年生も終わり頃の事でしたが、勉強机を中心に、僕のいる子供部屋の周辺が大変汚く散らかっていましたので(今でも変わりないのが辛いです)、ついに親から怒られました。
「綺麗に片付けるまでテレビを見せないぞ!」と言われました。

その日の晩はウルトラマンの放送がありましたので、必死こいて片付けを行いました。
しかし、元より日頃の整理整頓が苦手な自分です。
どんなにあたふたしようが全然片付かず、無駄に労力を費やすだけでした。

時間だけが過ぎていく中、焦れば焦る程、片付くどころか散らかっていくばかりです。
春先とはいえまだまだ寒い晩、手足は凍えて悴んで、涙と鼻水で顔はグシャグシャになり、疲労困憊でもうどうしようもなくなりました。

そしてとうとうウルトラマンの放送が始まるという時に、両親が来て「もういいからコタツに入ってテレビを見ていろ。」と言って代わりに片付けをしてくれました。

僕は涙と鼻汁をすすりながら、コタツに入って冷え切った手足を温めて、テレビのウルトラマンを見ていました。
それが第36話「射つな! アラシ」変身怪獣ザラガス登場の回でした。

テレビを見終わった時に、両親から呼ばれて部屋に入った時は、もうすっかり勉強机とその周りは綺麗に整頓されていました。
僕は父と母に感謝しました。(またすぐに散らかりましたが)

はるか遠い少年期の想い出は、家族とウルトラマンと共に存在しました。



宇宙怪獣ベムラーを追って、ウルトラマンが地球に飛来して来た日から、50年が経過しました。
今現在、地球はウルトラマンが望む平和な星になっているのでしょうか?
それを考えると、問題意識を抱えながらもまだまだ努力を怠ってはいけないと、当時の少年であった自分は感じるのでした。

ウルトラマン放送50周年記念の第2弾です。


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    週刊少年マガジン 1966(昭和41)年31号表紙



1966(昭和41)年7月10日、ウルトラマンの宣伝番組で、公開録画番組「ウルトラマン前夜祭」が放送されました。

舞台中継でウルトラマンと怪獣、科学特捜隊に、果ては円谷英二監督までも出演して、場を盛り上げました。
舞台劇ですから、当然ウルトラマンも怪獣も等身大のままの姿で登場しましたが、会場に集まった多くの子供達を沸かせました。

当時6歳(小学校1年生)だった僕も、「ウルトラQ」から引き続いての「前夜祭」を見ました。

確かに面白かったのですが、舞台中継の形を取っておりましたので、もしかしたらウルトラマンは全て舞台劇で展開するのか?とも思ってしまいました。
それに、僕の好きな怪獣であるガラモン(正式には改造されたピグモン)を、ウルトラマンがアッパーカットで殴ってその頭をすっ飛ばしてしまい、随分と酷い事をするものだとも思いました。
最後は怪獣皆が和解した感じになりましたので、よかったです。

その翌週の7月17日に、第1話「ウルトラ作戦第1号」が放送されました。
正真正銘のウルトラマンの始まりです。
迫力あるドラマ展開にすっかり魅了されて、それ以来今日まで50年間、ウルトラマンのファンです。



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    週刊少年マガジン 1966(昭和41)年41号表紙



ここで、手持ち資料からの抜粋です。


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これは、週間少年マガジン1966年13号(4月3日特大号 3月19日発売)の、「特だねパトロール」という特報欄に載っていました記事です。

ここでレッド=マンと呼ばれている怪人が、実はウルトラマンだったのです。
ウルトラQの放送中だった時期でしたので、新ヒーローの姿形は発表前の段階だったのでしょう。

いかにもその当時に流行っていた、仮面を被った正義の味方風姿に想定された姿で描かれています。
限られた情報から、新番組紹介の記事を読者に提供する為の苦労が伺えます。



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こちらは、先に公開しました週刊少年マガジン1966年41号の巻頭特集記事「ウルトラマンのひみつ50」の中に掲載されておりました、成田亨先生の紹介記事です。
ウルトラマンと怪獣の生みの親で、ウルトラマン、ウルトラセブン、怪獣に宇宙人、超兵器、セットデザインと、ありとあらゆる特撮美術を世に送り出した芸術家です。

怪獣の考案は、毎日の仕事の中で限られた時間しかなく、苦労の連続だったそうです。
その努力から、不滅の名作が誕生しました。


今年はウルトラシリーズの元祖である、「ウルトラQ」「ウルトラマン」が放送開始されてから、丁度50年目を迎える記念の年です。

1966(昭和41)年の1月2日に「ウルトラQ」第1話「ゴメスを倒せ!」が、続く「ウルトラマン」は、7月10日に「ウルトラマン前夜祭」が放送されました。

当時、幼稚園年長~小学校1年生だった僕は、毎回夢中になってウルトラマンと怪獣のドラマに見入っておりました。
もうあれから半世紀が経った事を考えますと、大きな時の流れを感じさせます。



ここで僕の手持ちの資料から、ウルトラマンに関しまして、特に興味深い物を公開させていただきます。
題して「ウルトラマン生誕50周年記念企画」です。


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これは、ウルトラマンが雑誌で紹介されました最初期に当たる紹介記事です。
週間少年マガジン1966年第20号(5月22日号 5月7日発売)の表紙で、ネロンガとバルタン星人を相手に戦う、ウルトラマン初登場の雄姿です。


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同じく巻頭グラビアからの特集記事です。
「正義の怪人」と称されましたウルトラマンが、色鮮やかなカラー特写で読者を魅了しました。


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同じく巻頭特集「仮面の怪人」より、磁力怪獣アントラーと戦うウルトラマン。
挿絵は南村喬之氏で、成田亨先生のデザイン画を参考にされた感じの、縞模様のアントラーが描かれています。
ウルトラマンの顔も、よく見ますと若干角が立って複雑な感じがします。



当時、小学校1年生だった僕は、この雑誌で初めてウルトラマンの存在を知りました。

日曜日の朝に、父から雑誌を貰ったのですが、表紙を飾ったその写真に、未知の存在に対しての若干の恐怖心を抱いていた事も確かでした。
全身銀色の仮面の様な表情の男、それが茶色い河馬みたいな怪獣と戦っているのです。
今までには前例の無かった新たな英雄の存在に、受け入れがたい不安を抱いていたのです。

その頃の少年マガジンは、妖怪の特集記事を時折掲載していました。
少し前に見た号では、漫画家水木しげる氏のイラストを中心とした「世界の大妖怪」という巻頭記事が載っていて、それがかなり怖かった覚えがありました。

水木しげる世界の紹介記事




初めて接したウルトラマンにも、理解不能な存在として同様な不安を感じてしまったのです。

しかし、初めての放送である「ウルトラマン前夜祭」を見た時に、テレビ画面で実際に動いて活躍するウルトラマンの姿に、視覚による具体的な存在確認が理解出来まして、恐怖心は無くなりました。

「てなもんや三度笠」的な舞台劇から一転して、宇宙怪獣ベムラーが登場する迫力の映像ドラマである第1話を見て以来、僕はウルトラマンの活躍に夢中になりました。

日曜日の晩は、家族揃ってウルトラマンを見ていました。
その家族交流は、50年経った今でも、自分の記憶の中の大切な想い出です。


そして、既に大人になった今現在でも、ウルトラマンと怪獣達は、不滅の存在として気持ちの中に生き続けているのです。


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