努blog

2019年08月

紹介が大分遅れてしまいましたが、僕が入会しております動く模型愛好会(通称UMA)の、今年行われました水もの模型のお遊びイベントの公開です。
あの日から既に約1ヶ月が経過してしまいまして、過ぎ行く夏の思い出となりましたレポートです。

去る7月28日に都内某所の公園の池で、自慢の水物模型を手にした模型好きメンバーが集まりまして、近所の方々も交えまして楽しいオフ会のひとときを過ごしました。
当日は台風6号の接近で、早朝は豪雨に見舞われておりましたが、なんと奇跡の回復、午前中には晴天の夏日に恵まれました。
模型オフ会も恙無く開催されまして、大いに盛り上がりました。

その様子を何回かに分けまして、ここに公開させていただきます。




水オフ2019 ゴジラと怪獣模型
僕が今回制作し持ち込みました、怪獣模型達です。
自作の水上ゴジラに水上走行ガメラ(日東改造)、タミヤのボート工作を使用しましたハタケ星人ボート、水ものではございませんがディスプレィモデルのハクトウワシ(リンドバーグ社)です。

集合会場に全員で模型を持ち寄りまして、仲間内での公開が一通り終わりましたら、競技会場であります近所の公園の池に移動します。
そこで水もの模型の競技会が開催されました。



水オフ2019 ゴジラ対海底軍艦
水オフ2019 ゴジラ対轟天号 激突
激突!ゴジラ対海底軍艦

Taka袋さんがソフビ玩具に水中モーターを仕込んで作りました物で、競技会場であります公園の池で遂にゴジラとの決戦が実現しました。
特撮映画そのものの迫力に、皆大興奮でした。



水オフ2019 ゴジラ対海底軍艦 公園の池で
池にて 海底軍艦に迫るゴジラ
果たして勝敗はいずこに!

こういった場面は実際燃えます。
脳内に伊福部昭音楽が鳴りっぱなしでした。



水オフ2019 泳ぐガメラ
ゴジラに負けじとガメラも出撃です。

このガメラも何度もオフ会に参加しております。
円を描く様に泳いでおります。



水オフ2019 ハタケ星人ボート進撃
水オフ2019 ハタケ星人ボート風景
こ、これは!?
僕が作りましたお遊び模型で、ハタケ星人ボートです。

お間抜け宇宙人ハタケ星人が、怪獣ボートに乗って走行会に出陣です。
レース結果はビリっケツでした。
それでもマイペースなお気楽推進に、多少は気持ちも和らぎました(?)



水オフ ハタケ星人ボート
水オフ ハタケ星人ボート 後ろ
水オフ ハタケ星人ボート前
ハタケ星人ボート

タミヤの水中モーター工作セットを応用して作りました。
怪獣ボートに乗って、地球侵略開始です。




2019年度 水ものオフ会レポートは続きます。






先程ですが、イギリスの模型でエアフィックス社製プテラノドンが完成しました。
模型本来の形を、自分の趣向性で若干手を加えて改造してあります。




エア プテラノドン 左向きアップ
エア プテラノドン 右向きアップ
プテラノドンは、今から約8000万年位前の中生代白亜紀後期に棲息しておりました翼手竜です。
飛翔爬虫類で、恐竜とは違う生き物です。
翼を広げると7メートルにも達する大型種で、空気の流れに乗って空を滑空した様です。
主に海辺の上空を舞って、魚を捕らえていたと推測されます。



エア プテラノドン 左向き
エア プテラノドン 右向き
エア プテラノドン 後ろ向き
この作例模型ですが、本来は岩場に身を乗せている姿ですなものを、飛行姿に変えてあります。

岩場は丸っこくて出っ張り部分があって、そこにプテラノドンの胸を差し込んで固定する様になっていました。
今回は飛行姿を再現してみたかったので、その出っ張り部分は削ってしまいまして、プテラノドンの胸のくぼんだ部分をパテ埋めして真鍮棒を差し込める形にしてみました。
全体バランスを上手く取りまして、改造は完了しました。

彩色は箱絵を参考にしまして、それを再現する感じに勤めました。
かなり独特のイメージでしたので苦労しましたが、何度も塗り重ねしましてそれらしい感じで完成出来ました。



エア プテラノドン 箱絵
これが箱絵です。
何とも独創性の高い色合いです。
昔のチェコの空想映画に出て来た様な印象があります。




エア プテラノドン 修正画像
実際の模型をストレートに組むと、こういった形になります。
嘴には古代漁シーラカンスをくわえています。


これですと、ペリカン等の水鳥イメージですね。
シーラカンスはというと・・・



エア シーラカンス よこ
エア シーラカンス 前後
こちらもプテラノドン同様に、台座(造形粘土で作った手製)に真鋳棒で独立させて作りました。
翼手竜の獲物になっていたのを、助けちゃいましたね~^^

シーラカンスは全部で8つの鰭を持っておりますが、模型のは腹鰭がひとつ足りませんでしたので、エポキシパテで作り足しました。
彩色は、実際の記録映像を参考にしました。



エア シーラカンス フラッシュ
撮影にフラッシュを焚いて、深海にいる感じを演出してみました。
まさに生きた化石のイメージです。




エアフィックスの恐竜模型も、このプテラノドンで6種類目の完成です。
厳密には恐竜ではないプテラノドンやディメトロドンも含めれておりますので、古代生物シリーズとでも呼んだ方がよろしいかも知れません。
完成させてみますと、自分なりに苦労した分楽しい気分になります。
あと残りの物も手掛けたいです。




先日の月曜日夕方、東京吉祥寺のパルコ地下映画館で、映画「モデル 雅子 を追う旅」を嫁さんと一緒に観ました。




雅子さん ポスター まよこ

2015年1月に亡くなったモデル雅子さんの追憶を描いたドキュメンタリー映像で、ご主人の大岡大介さんが、雅子さん縁の方々や場所を訪ねては、生前の足取りを追うという形式を取っておりました。


雅子さんは顔立ちの整った上品な個性のモデルさんで、キャリア30年、雑誌のファッショングラビアやCM等で活躍し、映画にも出演されました。
気品の高いプロ意識を持ち、同時期にお仕事でご一緒された写真家、モデル、映像作品で競演された映像監督や俳優、その他大勢の方々から慕われてお出ででした。



雅子さん 写真

多くの関係者の方々が、生前の思い出を語ってくださいました。
非情にプロ意識が高く、透き通る様な自然の存在感を持たれていたそうです。
雑誌のグラビアモデルという、一見派手そうで目立たない存在のお仕事を続けられて、多くのキャリアと実績を積み重ねて参りました。

嫁さんが以前お世話になった朗読の先生が、ファッションショーのプロデュースも兼ねてお出でで、その時にモデルの雅子さんの舞台にお目にかかったそうです。
僕は失礼ながら、雅子さんの存在は存じませんでした。
しかし、今回の記録映画で判ったのですが、以前、僕が観ました映画「ガラスの脳」(原作・手塚治虫 2000年 日活)に出演されていた事を知りました。
主人公である少女の母親役で、映画の冒頭場面で、山中の岩場に飛行事故で亡くなった人達の中におられました。
人工着色を思わせる色合いで、物語始まりの時代感覚(昭和20年代末)を感じさせて印象深い場面でした。



雅子さん 服

その雅子さんも、難病である悪性の癌に罹り、片方の肺を摘出されるという大手術を行いました。
ご主人の大岡大介さんの懸命の看病と多くの方々のご支援もありまして、一時は体調回復して仕事復帰されたにもかかわらず、再び病に倒れて帰らぬ人となりました。
享年50歳、まだまだこれから新たな道を歩んで行こうとされた矢先でした。

雅子さんが亡くなられた後、遺品を整理していた大岡さんは、残された膨大な量のグラビアや映像等を前に、彼女の生前の足跡を辿る旅に出ました。
多くの関係者の方々は、雅子さんとの素敵な想い出を語ってくださいました。
その記録を残そうと、今回の映画公開に及んだ訳でした。



雅子さん 絵葉書

愛する奥様の人生を辿る旅の記録、そこに人の持つ永遠の存在を見出しました。
生きて来た時に係わった多くの人達の中に、思いは生き続けているものなのです。
50年という限られた時間ではありましたけれども、精一杯前向きに生きてきた雅子さんの姿が偲ばれました。

沢山の方々のお話と記録画像に、僕も自分のこれからの生き方を考えさせられました。



雅子さん 容器
雅子さん カバン


画像は、上映会場表に展示されておりました、映画ポスターとパネル写真。
雅子さんご愛用の遺品の数々です。





先程、過去のデーターを全て移動完了しました。

かつてヤフーブログで掲載しておりました日記及び記録文章と画像データーを、全部こちらに移転させました。

場合によりましては、文章内容を少しづつ編集していきます。

僕にとりましては人生の歴史ですので(それ程大それたものではございませんが)大切に保管していきたいです。

こちらで初めてお目にかかる方もいらっしゃいますと思われますので、ご自由にご覧になられてください。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。




亀 たて

先日、嫁さんの親戚のお墓参りに行きました時に写しました。
茂原のお寺 大法山 圓頓寺 さんの亀さん達です。




夏休みの本日、嫁さんと一緒に江東区の清澄白河に行きまして、そこで話題のお店と神社を訪ねました。

エル.エス カフェ は、自然食を中心としましたオーガニックメニューのお店で、お手軽に健康食を食べられます。
アイスコーヒーも基本的にミルクとシロップを用いず、そこが自然食材の意味合いを感じさせます。
美味しいランチプレートがお勧めです。



ガーリックライス




秋葉神社02
秋葉神社
カフェで食事をした後、台東区松葉の秋葉神社に行きました。
基は明治初年に現在の秋葉原に創建されて、その後明治半ばに鉄道建設の為に今現在の場所に移転したと言われております。
秋葉原の名前の由来となった神社です。




虹?
台風接近の影響か、時間を置いていきなり土砂降りになって、帰りは散々でした。
雨上がりの曇り空にうっすらと虹が出ましたが、あんまりよく見えませんでした。
お判りになるでしょうか?




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